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船の人々

 「3隻目の船はもう間もなく、最初の目的地に到着します。各人、武器の整備と鍛錬を怠らないようにしてください。」私は船の中で、ぼんやりと自分自身の貧弱な武装を見つめていた。戦友たちは黙々と武器の整備と鍛錬を続けている、ように見える。彼らには私の装備と武器は、強い性能を持っているように見えるようだ。実際にはさびてボロボロなのに。なまくらな刀をしまいながら、眠りにつく。鍛錬を忘れながら。

 さて、私は昨年6月ごろから、試験対策講座を受講している。17年度夏季採用試験に向けた講座は、開講当初150名あまりの受講者が講堂を埋めていた。ところが、夏ごろに最初の落伍者が現れ、現在ではほとんど姿が見えなくなっている。

 もちろん、映像プログラム等も用意されているため、別段出席しなければならぬわけではなく、いわゆる「孤独な闘い」を続けている戦友も少なからずいるだろう。かくいう私も、教員を目指していたころは教職インターンのため、参加することがほとんどできなかった。現在、講義室にいる人の数は50名程度ではないだろうか。3月の時期にも関わらずほとんどが私服姿であり、皆、一兎を負う所存を固めている様子だ。

 私は午前中に会社説明会を予約し、午後から出席、夜に復習をして、ついでEs を書くという生活を続けることを理想としているが、実際は会社説明会と被り、出席することができず、映像を2倍速で再生し、ようやく受講消化を行っているのが現実だ。果たして、効果について評価をすることを恐れて居ないといえば嘘になる。とにかく、やる。これだけが今の私を動かす、ビジョンなき大義のようなものではないかと思っている。

 私には戦友と勝手に思うだけの仲間がいる。こう書けば、熱い信頼関係に結ばれでもしているかのように思えるが、これは私の一方的な片思いであるから話半分に聞いてほしい。彼らは、文化財保護活動に従事した元歴史研究会の面々だ。

 元歴史研究会について説明すると、いわゆる古都で文化財を愛でる、守ることを名目に、ゆるく活動している団体だ。週1で散策をする団体かと思えば、実際には変な法人や寺院、宗教団体と協力して文化財展示を担う、忙しい団体だった。まあ、私はほとんど蚊帳の外であった。それだけに、私に対する誤解は少なからずあるようだ。

 教職課程に、講座にと日々忙しく活動している「つもり」だった私は、あまり彼らと漫然として話すのを好まなかった。「つまらなかった」なんて言う、おこがましい思いを本気で抱いていた自分が今では恥ずかしい。

 私にとっての教職課程は一時、本気で教員を目指していた意識の高い時期の産物だが、結局のところ「忙しい自分」を自ら鏡で見て喜ぶための活動に過ぎなかったのかもしれない。もちろん、研究課題や発表などは、自分自身の知的好奇心を大いに刺激し、得るところは大きかった。だが、それは閉鎖的な学校生活を送る自分が持っていた最後の矜持のようなものに過ぎなかったのかもしれぬ。この間に、1年次に一緒にアホやっていた友人たち、しかし居心地はよくて私が大好きだった連中とは疎遠となってしまう。そして、歴史研の連中の会話にもついていけなくなっていた気がする。もちろん、楽しいこともあった。ともに旅行し、寺院の案内をしたことで、それなりの紐帯に結ばれていたと思っている。

 私の中で、この歴史研、教職、そして、現在の講座に至る一筋の線が、いまだ見つけられていない。1つ1つの活動が、なぜ取り組んだのか説明できない。それは、ただ「すごいこと」ができる格好いい自分を求め続けたナルシシズムがもたらしたグロテスクな航跡だったという最も安易で最悪な答えだけが、頭に浮かぶのである。

 実際の自分の求めているものは何なのか。今に至る過去を見据えなければならない。

私は私自身を見ることができない。なぜなら自分自身で知覚できるのは自分が自分だと思っている表層のイメージにすぎない。では、どうするか。ふつうは親友と過ごす中において、自然と答えは見つかっているものだ。だが、私は親友がいない。本気でぶつかったり、本気で鏡となる人間はいない。一緒の航跡をたどったものがあまりに少ないからだ。

 船に例えてみよう。今、まさに第三の船に乗船した。偶然にも第一の船、歴史研に乗っていた仲間たちも乗船している。だが、歴史研という船の中で、私は何の役割も与えられず、ただ時折開かれる船内でのダンスパーティで、華麗な踊りを披露しただけだ。船のクルーたちは、それぞれ航海のための役割を与えられ、私は乗船していた客人、先生に過ぎなかった。彼らにとって、客人の本当の姿はわからない。彼らが一番わかるのは、同じクルーとして、航海を仕事として成功させた仲間たちの姿だろう。私は最後まで客人だったのだ。第一次就職戦線の開戦を1年前に控え、客人もクルーも船を降り、次の船に乗り合わせた。次の船はいわば兵員輸送船だ。元クルー同士はともに、互いのことをわかっている。だが、クルーはどこか元客人に気を使っている様子だ。

 先生と呼ばれていた私のイメージは、教職で日々ありえない量の講義に出て、本をよく読み、書評を書かせれば賞をもらうようなやつ。ここまでの事実から、当然、試験科目の数的処理やマクロ経済もできるだろうと思われている。だが、先生はかなりバカだった。クルーは先生の本当の姿を知らない。なぜなら先生は客室にこもり、自分の姿を守ろうとしたから。格好悪い姿を見せようとしなかったから、彼らに「俺にも役割をくれ」といわなかったから、ともに仕事をしなかったからだだろう。

自分が船に乗っているという想像力が、私にはたりなかった。同じクルーたろうとするだけの人間性が不足していた。今となっては後の祭り。そもそもクルーと客人の妄想は、自分自身の中で言いえて妙ということに酔っているだけじゃないか。

もはや迷う時間も選択肢も残されていない。今は、一つの結論に向け、複数ある変な感情は殺していくことが求められている。この記事もその一種だろうか。

 大学の図書館のグループ学習室で、戦友らの問題解説を聞きながら、ぼんやりと、船に乗っている自分の姿を思い浮かべていた。私の武器は世界史と日本史と憲法行政法か。頼まれた日本史の解説は、模擬授業で培った知識と教授法に基づく。田沼政治と寛政改革の接続に関する解説をして、次に自分のわからない組み合わせの解き方を尋ねた。ふと、窓ガラスの外に目をやると、時計台に灯りがともった。先ほどまでの陽光は翳り、空の藍色は刻一刻と濃くなる。もう間もなく、図書館に閉館を告げる音楽が流れるだろう。